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L’abbazia di Praglia…
イタリアで2番目に古い大学、
今は亡きホームドクターは、 そこからさほど遠くない所にクリニックを構えていて、私は、診察や講義で月に一度通っていた。
ミラノから急行で約2時間、 パドヴァ駅で各駅停車に乗り換え約10分、温泉地のテルメ・ エウガネイ-アーバノ-モンテグロット駅に着く。
いつもは、ホームドクター(ドットーレ) の門下仲間でもあり親友のアントネッラが迎えに来てくれるのだが 、その日駅に待っていたのは、同じドットーレの門下仲間で、 フーリオとカルラ夫妻だった。
フーリオはパドヴァの新聞社の辣腕記者で、科学系の雑誌の創刊者でもあった。
とにかくエネルギッシュ、 溌剌としていて、やんちゃ坊主のような印象も持ち合わせた、 愛情深い美形の好男性。
奥さんのカルラは知的で思慮深く、華奢で可愛らしく、 イタリア人には珍しく小さい細い声で話す人だった。
「里美が来るのなら、 プラーリアのグレゴリオ聖歌のミサを聴かせたいから、、、」と、 ミサの世話係をしていたフーリオが予めお邪魔する許可を取 って連れて行ってくれたのだ。
プラーリアのオフィシャルサイトを見るとグレゴリオ聖歌によるミ サの時刻が公示されているので、 現在は外部からも入場可能なのかもしれないが、その時は修道士のみで、来訪者は入れなかったと記憶している。
プラーリアは、ベネディクト派の修道院で、それまでも件のアントネッラや他の仲間達を伴って何度か訪ねていた。
美しい建築物を鑑賞したり、庭や周りの緑の中を散策したり、 修道院のプロダクツであるハーブや蜂蜜、 石鹸等をお土産に買うのも楽しみのひとつだった。
その日、目的地にに向う車中、 フーリオの専門の環境問題や科学の話、政治経済、禅庭やバイオダイナミック農法の話に花が咲き、 なぜだか保険の話になって、彼が「 僕が病気でいなくなったら、僕の奥さんには沢山のお金を残してあげたいよ!」 と冗談交じりで笑って言った時、私は「何言ってるの、そんな!」 と返して、ふとカルラを見ると、彼女は黙って遠くを見つめていた。
その時は特段気にも止めなかったが、 まさか彼が既に病気だったとは想像すらしていなかった。
到着してフーリオがミサの準備を整えている間、 カルラと私はひとしきり修道院の中を散策して教会に入る。
内部は薄暗く、クーポラからの光を頂いている。
静かにドアを開け、膝を折って十字を切り奥に進み、そして、修道士たちの視界に入らないであろうなるべく暗い目立たない席を探して、 二人で並んで座った。
フーリオはミサの支度を整えて、既に控えの間に退いていた。
間もなくして、音も立てずに記憶に間違いがなければ、6〜 7人の修道士が入ってきて、 グレゴリオ聖歌によるミサが厳かに執り行われた。
始まりの合図がどこにあったかわからないほど、 入って来る時から一連の動きは静かに流れていた。
儀式は清廉で秩序正しく平穏である。
クーポラからの一筋の光とグレゴリオ聖歌の音に包まれて、ふと意識が遠のき、空間の上方に連れて行かれるような感覚を覚えた。
何か温かく深いものに抱かれ、夢と現の間を彷徨うような感覚。。。
エウリディーチェを探しに冥界に入ったオルフェオが、 美しく澄み切った空と輝く太陽で満ちたその美しさに心を奪われ、「 Che puro ciel…」と賛美する情景が重なった。
頬に涙がつたって、許され慰められた心持ち、清々しく、平穏に包まれ外へ出ると、知性を奥に秘めた好奇心に満ちた目のフーリオが待っていた。
『いつか里美にここでAve Mariaを歌わせたいな~!』
どんな教会であれ、そこで演奏する事は容易でないし、できない教会もある。
ましてやプラーリアのような教会であればなおさら。
それを知っていても、いつものようにいたずらっ子のように話す彼の気持ちがとても嬉しかった。
頬に涙がつたって、許され慰められた心持ち、清々しく、平穏に包まれ外へ出ると、知性を奥に秘めた好奇心に満ちた目のフーリオが待っていた。
『いつか里美にここでAve Mariaを歌わせたいな~!』
どんな教会であれ、そこで演奏する事は容易でないし、できない教会もある。
ましてやプラーリアのような教会であればなおさら。
それを知っていても、いつものようにいたずらっ子のように話す彼の気持ちがとても嬉しかった。
その後私は日本に帰国、ほどなくしてフーリオは骨髄性白血病だという知らせが私に来て、彼らしい前向きな闘病生活を経て、 深い愛で結ばれた最愛の奥さんカルラを遺し神さまのみもとに召さ れた。
プラーリアでのAve Mariaは叶わなかったが、彼を思い出す時、心の中でAve Mariaを歌う。
プラーリアでのAve Mariaは叶わなかったが、彼を思い出す時、心の中でAve Mariaを歌う。
振り返ると、なんと温かい貴重な体験をしたかと思う。
現在のように スマホが普及していたのなら、容易に克明な記録が残せたであろうと思うと残念ではあるが、 もしかするとそれで良かったのかもしれないとも思う。
私の記憶は10年経った今でも、大切な人達の声や話し方や笑顔と共に、 その地の空気や匂いすらも細胞の中に鮮明に刻み込まれている。
詩人ウンベルト・サ-バと同じトゥリエステ出身で、美しい青緑の目にヴェネト訛りが混じる少年のようなフーリオは、清々しく、内側も外側も美しい人だった。