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コモ湖-Bellagio

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コモ湖-Bellagio

マッジョーレ湖やコモ湖、オルタ湖。。。
北イタリアには美しい湖がいくつもあって、在伊中は、一日休みがあると、友人たちと連れ立って、あちこちの湖畔をドライブに行ったものである。
スイス国境近くのコモ湖は、ミラノからのアクセスも良く、北イタリア鉄道のCadorna駅からコモ湖入口のComo駅に着く電車があるので、日本からのイタリア旅行ブームだった当時は、2ケ月に1度位の頻度でツアーで来る友人や知人のフリーの日に案内した。
多くは、フニクラーレに乗り山の上まで行き、湖を見下ろしたり、向こうにモンテ・ローザを見るのがコースだった。

コモ湖はローマ字のYの文字をひっくり返したような形で、湖畔に小さな集落が点在し、湖を横断する定期船もあるが、私はやはり、ゆるゆると湖畔のさほど広くない道をドライブするのが好きだった。
一度なんぞは、友人たちとミラノからオートバイでツーリングし、家に帰ってきた頃には、身体がバラバラになりそうなほど節々が痛んだ事も懐かしい思い出である。

まだダウンコートに身を包むほど寒いのに、湖畔の土手に春のお告げのプリムラがぽつりぽつりと咲いているのを見つけると、途端に心が弾んだ。

そのコモ湖のYの字の丁度二股の所にBellagio(ベッラージョ)という愛らしい集落がある。
記憶に間違いなければ2004年、音大から研究生時代にお世話になった声楽の先生とその夫君がミラノにいらした時、ベッラージョを訪ねたいとおっしゃるので、タクシーをチャーターしてご案内した。
歯科医師で画家でもあるご主人が “街と人と言葉と 芸術家が「生きた」場所をたずねて”と題した本の執筆の取材が目的だった。
ベッラージョはその前にも何度か訪ねていて、コモ湖畔でもとりわけ好きな場所だった。

湖と山肌の狭間にあるこの小さな集落の、細い坂道の入口に近い所に、ハンガリーの生んだ作曲家フランツ・リストが住んだ家がある。
家の外壁には、リストがこの家に住んだと書かれた碑がはめ込まれている。
リストはパリで成功した後で、この時ダグール伯爵夫人と暮らしていた。そして、三人の子をもうける。
二番目の娘は、後にワグナーの夫人となったコジマである。

この家にほど近い湖畔に、Villa Melzi(ヴィッラ・メルツィ)という美しい庭園がある。
リストは、この庭園を良く散歩した。
そして“巡礼の年・イタリア”の作曲を頭のなかではじめていた。。。と、2005年に上梓された夫君の本の中に記述がある。

ご夫妻と訪れたのが丁度夏の暑い時で、庭園の鈴懸の木陰は、湖からの風が心地良く、街は夾竹桃やゼラニウム等の色とりどりの花に溢れ、それはそれは美しかった。帰りに、コモ駅にほど近いCernobbioの由緒あるホテルVilla d’Esteに寄り、美しい庭園を散策してミラノに戻るという、美しくも贅沢な一日となった。
スマホが普及した現在なら、沢山の写真を残したであろう。。。といつも思うが、見えないからこそ、音や声や匂い、肌に触れる空気の感触、その時の感情など記憶の襞の中に探すのは、知的でノーブルな作業に思われる。

件の本の中では、ヴェネツィアで没したドイツの詩人、ブラーテンの詩を引用している。

「美しいものをその目に見た者は、
 死にその命を渡されているようなものな  のだ
 もうなんの業もできず、
 そして死の前におののくだろう
 美しいものをその目で見た者は」

ゲーテも又、イタリアに憧れいた。
オペラ「ミニヨン」の、ロマンツァ “ Connais-tu le pays” の舞台は、南イタリアのプーリア州にある小バロック都市Lecce(レッチェ)がぴったりだと、その街を訪れた時に思ったのだが、でもミニヨンの記憶にある楽園のようなその場所は、ゲーテが訪れていたガルダ湖畔かもしれない。

多くの芸術家がイタリアに魅せられる理由。。。
美しきイタリア。
またの名を、“Bel Paese”(美しい国・故郷)と言う。

そして、イタリアの友人達に私の名前の意味を尋ねられた時は、Bel paese(里美)だと答えていた。

梅雨が明け、夏本番の今頃になると、先生方と訪れたベッラージョの湖畔の一日を思い出す。